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2024.03.28
コラム

シリーズコラム 「働くことのストレス」 【第8回】 働く中での個人的に工夫していること

診察の中での「効率性」と「生産性」

前回は企業や法人などの組織が求める「習性」(たとえば、組織が生産性や効率性を際限なく求めていくことの諸々)を前に、働く人々がいつの間にか同調を迫られて自らの「習性」にしてしまいがちであることに触れました。だからこそ、その「習性」から個人が時々は外れるための少しの工夫についても触れました。今回は、私自身についても少しお話しさせてもらえればと思います。当院はいわゆる開業医が営むクリニックであり、くだけた言い方をすれば「一介の町医者」です。故に、限られた時間で多くの患者さんを診察していくための「効率性」を要しますし、来てくださる多くの患者さんの健康状態が着実に良くなっていく意味での「生産性」を求めていかなければなりません。

個人的にアナログな作業に助けられていること

そのために、診察では患者さんのお話しを聴きながら、診療記録をつけるためにデジタル機器に向き合い、それでいて、診察終了後の時間も寸暇を惜しんでデスクでパソコンに向かいながら治療方針を延々と考え続けるばかりが良いのか、それで効率性と生産性が上がるかといえば、個人的な経験としては案外そうではないとも感じております。
月並みな言い方になりますが、デジタル機器で情報処理をしていけることで、昔に比べて随分と診察の効率が上がったのは事実です。記録はきちんと整理され、要点などもまとめやすくもなりました。治療方針を導き出す時間も確かに圧縮されてはいると思います。ただ、あえて効率性から離れたところで、一見無駄に見えるような手間をかけてじっくりと考えるのも必要だと思っています。個人的な経験ですが、すでに定まった治療方針の修正を思いつくときは、クリニックの外でまったく別のアナログな作業をしているときが多かったりもします。

お茶を点てているときに思いつく「修正点」

たとえば、私はお茶(茶道)を少しだけ習っているのですが、デジタルな効率性とはまったく程遠いアナログの世界ですし、初心者の私にはまだまだ意味不明な「お作法」に従ってお茶を点てております。効率性を考えれば一杯のお茶を点てるのにこれほどの手間はないでしょうが、この中でふと治療方針の修正するべきことが思いつくこともあります。そのあとで、再度しっかりと考えてからその是非は決めますが、デスクに向かって「効率性」と「生産性」にガチガチに縛られているときには出てこなかった考え方が浮かぶのは人間のこころが持つ不思議でもあります。ですから、私個人としてもあえて効率性と生産性を外すような時間を持つようにしています。短期的な効率性と生産性を詰め込み過ぎず、適度にそこから外れることが、長期的には個人が仕事をしていく上で良き流れをつくっていくようにも感じております。

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