「役職定年」という用語を前にして
サボりがちを改めた
神保町・九段下でクリニックを開業することを決めて以来、私自身がこころがけていることの一つとして、なるべく世間の動きを知るように努力するというものがあります。都立病院に勤務していたころには、多忙を理由にして経済誌などに目を通すのをサボりがちとなっていましたが、その辺の習慣を改めることにしました。社会の変動や働き方の変化は人々のこころに影響を与えますし、その大きな流れというものをきちんと掴んでおくのも精神科医としては大切だと思っています。
「役職定年」という言葉
経済誌を読むようになって、頻繁に目につくのが「役職定年」という言葉です。私は医師として現場一筋でやってきたので、自身は役職というものを意識したことはほとんどありません。ただ、世間一般的に50代中盤にやってくる「役職定年」が深刻なモチベーションの低下を生じさせているといった特集記事などを読んでいると考えさせられます。
つい先日までマネジメント層でやりがいをもって仕事をしていたのが、そこから外れてかつての部下が上司となり、給与などの待遇もダウンして働くことを求められる。人によっては部署も変わり慣れない環境で一社員として働くことにもなる。こうした急激な変化がこころへと与える影響を、会社などの組織全体がどのくらい真摯に考えて施策としているのか一介の医師には正直わかりません。ただ、「役職定年」を報じる記事などが、現実を早期に踏まえて、各個人がリスキリングをして備えるように促す論調が多いと感じます。
ベテランの「学び方」に少しの工夫を
リスキリング自体に反対をするわけではありませんし、新しいことを学ぶのは大切だとは思っています。ただ、学び方については工夫が必要だとも思っています。学生時代のような丸暗記やテキストに噛り付くような学び方が良いとは限りません。社会に出てからの知識や経験値で十分すぎるくらいに働かせてきた脳やこころに、少しの余白と余韻を与えることを意識した学び方が大切だとも感じています。
具体的には、ほんの少しの工夫、たとえば、挽きたての豆で淹れたコーヒーを愉しみながら学ぶなどでも良いとも思っています。若い頃は、缶コーヒー、インスタント、挽きたて、それらの区別にこだわりがなかったはずが、ベテランになるにつれて確実に自分の好みは出てくるものです。ですから、その好みとなるものを自らに与え、リスキリングという負荷を少しでも中和してから学び行くといった取り組みも大切なように思います。組織に大きな施策を望みえないなら、自らが小さな工夫をいざなって歩んでいく。それも一つのあり方だと思っています。