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2023.06.01
コラム

桜の訪れとこころの動き

花を愛でるそれぞれ

日が長くなり、寒さが遠のきを感じさせる頃、九段あたりでは桜の木に淡い色がつきはじめます。この時期、千鳥ヶ淵や靖国さんの桜は見事に面をいろどります。きれいではあるけども、咲いている間が短いこともあってか、切なさを呼び覚まして、歩みを止め愛でる人たちの姿もチラホラと見受けられます。

ただ、毎年春の訪れを感じさせてくれた桜を、今年は眺める気にならない。桜を楽しむ気分にどうもなれない。人のこころはそのような感覚に包まれることがあります。それは日常生活のなかのごく小さなサインかもしれません。それでも少し考えてみると、楽しめないのは桜だけではなくて、他にも思い当たるものがあったりもします。好きだった趣味に前ほどの気持ちが向かない。何気なく楽しめていたTVが面白く感じられないなどなど。

楽しめないは心のサイン

こうした小さなサインは、こころが疲れをため込みはじめていることを訴えています。日々のなかでの決まった休息や休憩スタイルでは疲れからの回復が十分ではないとアピールしています。そのような時、休み方に人それぞれの少しの工夫を加えるのがとても大切になってきます。こうしたサインが現れたとき、無理をし過ぎないで休みをとること。あたりまえのことに聞こえますが、人のこころはそれを実行させるのをときおり躊躇もさせてしまいます。

今咲き誇る桜の満開を素直に喜べるか、間もなくやって来る散り桜を思って寂しさを感じるか、人のこころは色々な思いが行き交うものですが、桜はこころの疲れを知る写し鏡のようにもなってくれるようです。

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