『養老孟司の人間科学講義』 養老孟司 (ちくま学芸文庫,2008年)

解剖学者からみた人間とは何か
医師・解剖学者の養老孟司氏(以下敬称略)は、これまでに独自の人間観を発信してきています。養老の専門とする解剖学が精神医学とどのくらいの距離感にあるか意見は様々ですが参考にさせて頂く部分はあります。養老の著作は有名なベストセラーなどの新書や対談集から専門書といえるものまで幅広くありますが、『養老孟司の人間科学講義』(ちくま学芸文庫)はそれらの丁度中間に位置する本かと思います。
本書は雑誌連載された原稿が元になり、全11章で扱われるテーマは広く、養老自身が若い頃から考えてきたことが軸となっています。本書の前半では、養老によると日本では医師の多くが医学を自然科学だと考えているとし、自然科学の古典的視座によれば患者が「物質とエネルギーのかたまり」となるといいます。しかしながら、人間には「情報系としての人間」との側面があり、医学はそれと向き合うものだともいいます。
人間は二つの情報系を持つ
この「情報系としての人間」が本書全体に貫かれているテーマであって、この情報系には二種類あり、一つは社会に流通する情報と、それを扱うシステムである「脳」といった捉え方。そしてもう一つは、人間の遺伝情報(遺伝子)と、それを扱うシステムである「細胞」といった捉え方になります。これらを併せ持つとする人間について章を進めながら考察をしていきますが、養老が特徴的なのは、一つ目の脳というシステムが扱う情報である言葉(記号)、細胞というシステムに含まれる情報である遺伝子は「変化しない」が、システムである脳と細胞は生きているので「変化する」といった考え方にあります。
養老はこうした見解は一般的な感覚として理解されにくいのを承知の上で説明を試みています。たとえば、次々と言葉で生み出されるニュース情報などは絶えず変化しているように思われるでしょうが、それは情報が「置換」されているに過ぎず、それまでに既に記号化された情報自体は固定化されているといいます。他方で、人は自分が「同じ自分」として固定化されているように思っても、加齢により脳も細胞も変化していくことを思えば「同じ自分」とはいえないともいいます。
社会は脳の意識の産物といえる
本書の中盤では、養老は「脳が社会」をつくるといいます。その意味するところは脳が社会の規則を作りだすという意味合いで、養老はこのことを「現代社会は都市社会である。都市社会は、巨大化したヒト脳の機能、とくに意識が中心となっている。これは都会人が自分の身の回りを見てみれば、即座に了解するはずのことである。なぜなら都市には、ヒトが意図的に作らなかったものは置かない約束になっているからである」と述べています。
こうした考え方を軸にして、都市の機能とは何か、物流、エネルギー、イデオロギーなどについて考察を進めて、人間の意識が自然の持つ万物流転を克服して、固定・人工性を持つ都市を作り上げたことを述べています。その上で、「現代人は予測と統御が進行することを進歩と見なす」という人間の意識について触れています。なお、養老は日本については意識しない無意識として、自然と人工を対立的にばかり捉えない、自然を自律的なものとして受け入れつつ、うまく「手を入れて」いくという独自のものがあるともいいます。
社会は情報化・固定化された「個」を求める
本書の後半では、前半で行われた固定化された情報と変化する脳・細胞といった論点、中盤で行われた脳の意識が反映された社会といった論点を踏まえて章が進んでいきます。そこでは、自己の二つの側面として、①内的・私的自己(自分が見ている自分)、②外的・公的自己(他人が捉えている自分)の一致・不一致の問題。さらには西欧型のこれら自己と他者との関係性の問題が論点となります。
養老は固定化しているのは情報で、変化しているのは自分であるという前提ですから自己の境界は確定されたものではないとします。それにも関わらず、社会では情報化・固定化された「個」というものが求められてしまうという構造について考察を進めています。その後、章を進めて自己の範囲が変動することで分裂病(統合失調症)の症状について触れております。
養老の捉え方の基本とこころの調和への応用
以上は本書の内容の一部を大雑把に示したものです。ただ、情報は固定化されているが脳や細胞は変化するという捉え方や、社会においては自然と人工の間で「手を入れていく」といった発想には多くの可能性があるように感じます。たとえば、「変化する」と捉えがちな情報化社会の濁流を前に、どうにか自分が「固定化」されて立たねばならないと思い込んでしまっている場合、養老の示した発想や考え方には、人の回復やこころの調和へとつなげていくヒントが含まれているように思います。