『精神療法と精神分析』 土居健郎 (金子書房,1961年)
人のこころはレントゲンのようには見通すことはできず、知っていく、向き合っていくのには粘り強さや多くの時間が求められることを教えてくれる一冊です。土居健郎博士は日本人が持つ心理的傾向である「甘え」を精神分析に取り入れて究明した『「甘え」の構造』でよく知られています。その土居博士が精神分析の一般的な解説書ではなくて、実際の治療に関する本として書き上げたのが『精神療法と精神分析』となります。
この本は3編で構成されていますが、最初の2編は精神療法に携わる人に向けて書いているものとなります。その冒頭で治療にあたる医師のことを「治療者」と呼び、「患者」との人間関係のあり方について述べるところから始まります。手術を行う、薬を出すといったような治療者の役割が目に見えてわかりやすいわけではなく、話し合いを中心とする精神療法を行っていく中では、治療者と患者の人間関係が揺らぎやすいとして、どのように職業的関係を保つかを論じています。
そして、この関係を円滑にするためにも治療の場となる診察室のあり方、治療にかけていく時間の程度について述べられていきますが、その中で治療者がその行為のために持たねばならい「権威」について含めてもいます。この流れで治療の方針と目的についても入り、そこでは「劇としての精神療法」といったメタファーを使いながら、様々な治療法や考え方の説明をしていきます。
この本で特筆されるべきなのは、第2編「精神療法の過程」で、そこでは精神療法の始まりから終わりまで、その間に起きるあらゆることを網羅しながら述べています。「治療の開始」「感情の交流」「抵抗の種々相」「解釈の仕方」「洞察の出現」「治療の終結」といったタイトルで各章が成され、治療者と患者の間に起きる揺らぎを事例とともに説明しています。
治療者と患者の間で回復という目的を持って始まった「共同の旅」が、いつしかその目的よりも、感情の交流で生まれた互いの人間関係を保つことに軸が移ってしまう「転移」「対抗転移」などにまつわる問題。治療が進む中でこころを苦しめている真の原因らしきものである「抵抗」がみえてきたときに、そこへのアプローチである「解釈」で起きる行きづまりの問題。それがどうにか克服され浮き彫りになる「洞察」と治療の終了に向けて曙光が見えてくる過程。最終編である第3編では、こうした精神療法をさらに深く思索を重ねた土居博士の考えがエッセイのような形で短くまとめたものが収められています。
どれもが濃厚ではありますが、ここにリアリティは確実にあると思われます。精神療法において治療者と患者が歩みゆく目的地はわかっており、そこへ向けた着実なルートファインディングを行っていくことが大切、ただ、その歩みは一生懸命の努力が求められることを知らせてくれる一冊といえるでしょう。