『アンガーマネジメント大全』 戸田久美 (日経ビジネス人文庫,2024年)
電車や地下鉄の駅ではよく駅員への暴力を注意するポスターなどが貼られているのを目にします。こうした暴力が頻発していることの裏返しなのかもしれません。ただ、暴力に及んだ人も冷静になってみれば、それほど怒りに身を任せてしまうほどのことであったのか後悔するのがほとんどのようです。事件になってしまえば相手に与えた被害だけでなく、暴力を振るった側も色々と失うことが出てきます。
このような暴力にまで訴えることはまれであったとしても、人は生きている中で怒りという感情を持つことが多くあります。人の感情のタイプを喜怒哀楽と表現できるように、怒りというのはある意味では自然な感情の発露ともいえるでしょう。ただ、これをコントロールせずに発してばかりいれば、社会で生きていく中で様々な衝突を繰り返して立ち行かなくなり、それはより一層のストレスを抱え込むことになります。
怒りという感情とどのように巧く付き合いながらやり繰りをしていくか、その実用的な方法論を説いた本が『アンガーマネジメント大全』だといえるでしょう。著者の戸田久美氏は一般社団法人日本アンガーマネジメント協会の代表理事をされ、企業や官公庁で研修講師を務めてこられたとのことです。この本の「はじめに」の部分では、価値観が多様化する社会においては、ストレスになることが多くあるにしても怒りに翻弄されないで、長い目でみて自分や回りにとって健全な選択と行動ができるようになることが求められているとしています。
この本では、怒りのエネルギーは強いからこそ、自分や回りもすぐに飲み込まれてしまいがちだとします。そして、怒りの原因の一つは人が持つ「べき」(・・であるべき)といった期待にあるとします。しかしながら、人の価値観はさまざまで、この「べき」もそれぞれで異なっています。そのことを認めた上で、自分が相手(他人)の言動を許容できる程度を普段から冷静に考えておくのが良いとします。相手との人間関係(利害関係)やその濃淡によってこの許容の程度は変わりますが、それを踏まえた上で、怒りという感情をすぐにストレートな発信の仕方をするのではなく、工夫を凝らすことを説いています。
この本ではそうしたテクニックを数多くカバーしているところが「大全」と銘打っている理由なのかと思います。そのテクニックには、たとえば、怒りを「お願いベース」に変えてみる。相手の言動を受け流す(相手のキャラクターを冷静に受け止めてしまう)。叱るというよりはリクエストをする発想に変える。受け入れ難いことは冷静にNGを伝える。関係性を冷静に見直してみる。などがあります。こうしたことを一つ一つ積み重ねていくのはそれなりに大変でしょうし、これもまたストレスを生み出すかもしれませんが、自分の利害関係を一時の感情で壊さずに維持していくための術でもあり、それは自分を守ることになってくるといえるでしょう。
著者が「はじめに」において書かれた、自分や回りにとって健全な選択と行動という意味合いはこのあたりのことを含んでいると思われます。もっともシンプルでわかりやすいアンガーマネジメントのシンボル的なものとしては「まずは6秒待つ」(人の怒りは長くは続かない)、「怒りに点数をつけて仕分けする」(冷静に怒りの暴発を抑える)、相手に「~べき」とはいわない(互いの価値観は違う)などが含まれておりとても実践的といえるでしょう。価値観が多様化する社会、そして自分がどの価値観を支持するのかをいちいち冷静に考える暇もないくらい忙しい中にあっては、あまり波風を立てずに人とコミュニケーションを重ねていくために必要なテクニックを示している一冊だと思います。