『神経症の時代 わが内なる森田正馬』 渡辺利夫 (文春学藝ライブラリー,2016年)
時折、専門外の人が書いた本の中に、専門の人だと書けないような魅力を発するものがあります。そうした一冊が『神経症の時代 わが内なる森田正馬』であり、著者は医師ではなく経済学者として名を馳せられた渡辺利夫先生です。この本は、今日では精神科の治療法の一つとして確立している「森田療法」(別の図書紹介でその概要は紹介しています)について、この治療を受けた倉田百三、それを編み出した医師の森田正馬、そしてその衣鉢を継ぎつつ発展させた医師の岩井寛のドキュメンタリーに焦点をあてています。
著者は、この本の「あとがき」で医療の進歩自体は肯定しつつも、人間が老化していく中で罹患する病を取り除けるような感覚を持ち過ぎること、死への恐怖を取り除けるというような錯覚、生への過度な執着や不安の排除などに対して問題意識を持ち、「あるがまま」に受け入れることを出来なくなっている現代に一つ警鐘を鳴らしています。このことを絡めてこの本のタイトルを『神経症の時代』と銘打っているのだと思います。
倉田百三は大正から昭和にかけて活躍した劇作家ですが、ある時から風景などを普通の感覚で捉えることができなくなりました。夕焼けを眺めようとしてもそれを俯瞰することができず、細部や部分の形ばかりに目が行くようになるなど「観照の障害」を抱えることになりました。意識してそれを修正しようにも出来ず、さらには不眠を患うようになって、京都の病院で森田療法を受け「臥褥」(安静に眠ること)で不眠などは回復することができました。しかし、次には「強迫観念」から何かを考えようとすると「いろはに・・」が延々と頭に浮かんでくる「連鎖恐怖」にとらえられてしまい、倉田は森田正馬から直接治療を受けるようになり、このとらわれから回復することが叶いました。
森田正馬が掲げた「森田療法」の概要については別のところでも触れたので繰り返しはしません。森田本人は人間の精神を根本的にどのように考えていたかといえば、人はそれを意のままに自由にコントロールできるように思うことは迷妄に近いといったものになります。森田は、倉田が苦しんでいた根源を、彼が何かを観照しようとしたときに、意識しないうちにより心地よく(快く)観照しようという欲望が働き過ぎていたのだとして、そうした耽溺や陶酔がいつしか強迫観念に変化したものだとしています。この事実を事実として受け入れる「あるがまま」こそが、このとらわれからの回復であるとしています。
別の回で紹介した『森田療法』(講談社新書)を著された医師の岩井寛は、森田正馬の治療法を継いで、それを一生懸命に実践した人となります。同書は既に進行癌におかされ余命が幾ばくもなくなってきている中で、痛みをこらえつつも最後まで医師としての務めを果たす中で口述筆記によって書かれたものです。岩井は青年期には不安や恐怖に苦悩した時期もあり、自我を確立しようと西洋哲学をひとしきり渡り歩き、さらには肉体を酷使するような労働にも携わった時期があります。いうなれば岩井もまた神経症で苦しみ、その果てに森田の高弟であった高良武久と出会い「森田療法」を知ることになり修めていきました。岩井は文字通り本当の最後まで全身全霊で森田療法についての考えを残した人であり、渡辺先生が書いた『神経症の時代 わが内なる森田正馬』を読んで、改めて岩井著の『森田療法』を読み直すと森田正馬が残したものの価値がより深く伝わってきます。