『嫌われる勇気』 岸見一郎・古賀史健 (ダイヤモンド社,2013年)

『嫌われる勇気』がアドラーの知名度をあげた
青い表紙に白色の文字で“嫌われる勇気”と印字された装丁は人目をひくものとして仕上がっており、書店の店頭にずいぶんと長い期間にわたって陳列されていたことを覚えております。アドラーが説いた心理学をベースに、哲学者の岸見一郎さんが原案を、ライターの古賀史健さんが執筆を担われた努力の結晶である本書は、その売れ行きからみても社会からつよい支持を受けたといっても過言ではないかとも思います。岸見さんが「あとがき」で言及されていますが、アドラー自身は、心理学の源流をさかのぼるとその代名詞的に登場してくるフロイトやユングと比べるとあまり知られていない存在でした。それが本書『嫌われる勇気』によって一気に知名度があがり、その考え方に影響を受けた人も多いことでしょう。
人は変わることが出来るという信念の根拠とは
アドラーの心理学にもいくつか特徴がありますが、その大きな一つには「人は変わることができる」ということであり、「変わること」を阻んでいる原因となりがちな過去に関わる「トラウマ」といったものについて言及して、それが思い込みにすぎないといった論を展開するところにあるかと思います。本書の物語はこころに諸々の悩み(変われない苦しみ、劣等感や自信喪失)を抱えた青年が、人は変わることが出来ると信じる哲人(哲学者)のもとを訪れて、アドラー哲学を軸に対話を重ねていくところから始まります。
青年は哲人に対してどこか挑戦的な態度をにおわせながら、まずは自分の友人のことを引き合いに出して、彼が過去の何かしらのトラウマから不安となり長い間引きこもりになっていると伝えます。そして、内心では変わりたくても、現実には変われない人間がいることを訴えます。これに対して哲人は、それは「過去が原因」となって「不安だから、外に出られない」のではなく、「今の目的」として「外に出たくないから、不安という感情をつくり出している」といったことを述べます。そして、「原因論」と「目的論」という用語を使いながら、アドラー哲学の立場としてトラウマを明確に否定するといった考え方を述べていきます。青年はこれに対して感情的にもヒートアップして、ときに噛みつくような態度をとりながら哲人との長い対話が5日間(5回)にわたって続いていくといった内容です。
「見せかけの因果律」をつくり出してしまう傾向
回を重ねるごとに、青年と哲人の対話は劣等感などの核心的な問題に至り、哲人はアドラーがいう「見せかけの因果律」という言葉を引きながら、人間が「本来はなんの因果関係もないところに、あたかも重大な因果関係があるかのように自らを説明し、納得させてしまう」という傾向を説き、これを変えていくための「勇気」という考え方へ言及をしていきます。さらには、過度な承認欲求から離れていくことや、自分と他者の関係を「課題」といったものに置き換えて、「他者の課題」には踏み込まないといった考え方も展開されていきます。青年はこれらの発想を即座に納得するわけではなく、何度ももだえ苦しみながら少しずつ受け入れていきます。
『嫌われる勇気』の扱いの注意点とは
本書の内容は、社会で生きている中で何かしらのしがらみを抱え、問題に直面して、こころの調和を崩している方々には確かに有効なアプローチを多く示しているといえるでしょう。ただ、気をつけなければいけないのは、これは青年と哲人が5日間にわたり、真剣にぶつかり合いながら、抵抗や葛藤が何度も表出しながら、少しずつ納得されていく過程を物語として描いております。そして留意するべきなのは、現実の社会の中では哲人と青年のように直接的な利害関係が絡まないで、本書のような真剣真摯な対話が継続される環境を持つことがとても難しいということです。
本書は青年にとっては望み得る限りの理想的な対話の環境が用意されているところから物語がスタートしています。青年は自分の思いのたけをこれでもかと投げかけ、哲人はそれに臆することなく向き合っています。それがゆえに、5日間(5回)の対話でアドラー心理学のエッセンスを描き出すことに成功しています。ただ、読み手はこのような短時間で同じような効果を期待するのではなく、物語という側面を適度に割り引くことができれば、この本のアプローチが有効に機能する部分はあると思います。