2025.10.14
日々のコラム

スマホ時代 と こころの調和 第一章 ・ スマホがもたらすこころの疲れ

診察の中で、「眠れなくて、ついスマホを見てしまう」という声をよく耳にします。常にニュースや情報を追いかけてしまうことも増えています。短尺の動画やSNS、ニュースアプリなど、あらゆる情報が絶え間なく流れ込み、私たちの脳は休む間を失っています。
特に短尺の動画には、注意を引きつける巧妙な仕掛けがいくつも潜んでいます。短い時間で喜怒哀楽を揺さぶられ、じっくりと感じる余裕を失う。短時間で多くの刺激を受けることにより、無意識のうちにストレスが蓄積されていく構造が生まれています。
さらに、これらの動画にはポイントさえ押さえれば何でもすぐうまくいくと思わせてしまう内容も多く、それが現実の生活や仕事で思うように進まないとき、焦燥感や苛立ちを強めてしまう。こうした刺激に慣れていくことで、現実の物事も「もっと早く、もっと効率的に進むはずだ」という錯覚が起き、現実との乖離にストレスを感じることも増えています。これは決して特殊なことではなく、現代社会では誰にでも起こりうる現象といえます。

スマホの中毒性とAIとの共鳴

スマホは、一見中毒性がないように見えます。しかし、気づかないうちに普通の人があっという間にその世界にのめり込んでしまう。その結果、精神的なバランスを欠いてしまうことが実際に多く起きています。AIやネットも、かつてのように「自分が能動的に調べる場」から、いまや「相手(アルゴリズム)に導かれる受動的な場」へと変化しています。自分の興味や行動パターンに合わせて情報が流れ込む仕組みの中で、知らず知らずのうちに深みにはまり、抜け出せなくなっていくことが少なくありません。

ChatGPTのような生成AIも同様です。すぐに答えが返ってくる安心感から、次々と質問を重ねてしまう。大量の知識が一瞬で得られる反面、脳がそれを十分に整理・咀嚼できていないこともあります。この意味で、AIは“賢さを助ける道具”であると同時に、“思考の筋力を奪う諸刃の剣”でもあるのです。
大切なのは、「どう使うか」という意識です。AIをうまく使えば深い学びのツールにもなります。けれども、安易に答えを求める姿勢が続けば、自分で考える力を失ってしまう危険もあります。「便利だから使う」ではなく、「考えるために使う」—その意識の違いが、こころの健やかさを左右していくように感じます。

SNSと情報の洪水の中で

SNSでは、他人と自分を比較して疲れてしまうケースが目立ちます。華やかな投稿を見るたびに「自分も頑張らなければ」と焦り、無意識にこころがアンバランスになってしまう。
また、ニュースを必要以上に追いすぎることで不安が増し、情報の多さそのものが気持ちを急かしてしまうこともあります。情報を取ること自体は悪いことではありません。しかし、量が多すぎると脳は“処理のしすぎ”で疲弊します。だからこそ、「見ない時間を意識してつくる」「情報の取捨選択をする」ことが、今の時代のセルフケアの第一歩になるといえます。

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